縁 ― 義父との出会いと別れ― by 安田幸生
秋田(現・坂本)一子さんからバトンを引き継ぎました「やーさん」こと安田幸生です。
秋田さんとは、高校2年生のときに同じクラスでしたが、当時を振り返ってみますと、
親友であったというわけでもなく、もちろんこっそっり付き合っていたというわけでもなく、
ごく普通のクラスメートといったところでした。
けれども、あれから二十数年の歳月が流れてこうして『ブログの輪』で繋がりをもてたのは、
私の教え子でもある秋田さんの娘さんのお陰であり、
秋田さんご本人から「思い切って」声を掛けてもらったお陰です。
人の「縁」とは、きっとこういう事をいうのでしょうね。
秋田さんとは、高校2年生のときに同じクラスでしたが、当時を振り返ってみますと、
親友であったというわけでもなく、もちろんこっそっり付き合っていたというわけでもなく、
ごく普通のクラスメートといったところでした。
けれども、あれから二十数年の歳月が流れてこうして『ブログの輪』で繋がりをもてたのは、
私の教え子でもある秋田さんの娘さんのお陰であり、
秋田さんご本人から「思い切って」声を掛けてもらったお陰です。
人の「縁」とは、きっとこういう事をいうのでしょうね。
ところで私は、今から15年前に縁あって結婚しましたが、
その当時は、母校・同志社高校に嘱託講師として勤務していたものの、
大学院に在学中で本業は学生の身でありました。
そんな半人前以下の未熟な私が結婚できたのは、
妻が当時のありのままの私を受け止めてくれたからであり、
同時に義父の理解があってこそのことでした。
その年の年初
私は、結婚の許しを得るために滋賀県にある妻の実家に車を走らせておりました。
実家への途中、
私は、仕事や研究のことなど自らの置かれている立場をどのように説明したらよいのか、
その事で頭がいっぱいでした。
妻の実家に到着してまず簡単な挨拶を済ませた後、
義母からの心のこもった酒食のもてなしを受けるなか、
私が頃合をはかって初対面の義父にきちんと自己紹介をしようとすると、
義父はその話を避けるかのように話題をかえました。
後に妻から聞いたのですが、
義父も所帯をもってから仕事の面で思うようにいかない辛い時期があったそうで、
その経験からか、義父は、
「あいつの仕事のことは一切口にするな。
あいつが一番気にしていることやから。」
と、私と妻の到着を待ちながら義母と義妹に口止めしていたそうです。
義父は、好き嫌いのはっきりした性格ゆえに、
私たち家族にとっては多々厄介な面もありましたが、しかし他面では、
このように、日頃から人への温かで細やかな気配りを決して忘れない人でした。
そんな義父の食欲が突然落ち始めたのは、この7月に入ってからのことでした。
そもそも義父は、食べることが何より好きな人で高齢とはいえ食欲も旺盛であっただけに、
その食欲の低下はもちろん気にはなりましたが、歳も歳だから夏バテのせいかと、
当初は、本人も私たち家族もあまり深刻には考えていませんでした。
ところが、その後も食欲は減退していく一方でそのうえ腰や腹部の痛みも増していき、
ついに月の下旬には、食事をまともに取ることさえできなくなって、地元の病院に入院。
8月になって、京都の病院に移る事になりましたが、
その後も、私たち家族の思いを余所に容態の回復はみられず、
結局義父は、付添いの家族を気遣うかのように
入院後わずか20日たらずで逝ってしまいました。
義父は、亡くなるその日に、私に
「これで好きなビールを買ってや。」
と千円札を三枚渡してくれました。
それは、入院すると2人の娘婿にも迷惑がかかるからと、
義弟にはすでにその好みのビールを買ってあげていたらしいのですが、
私の場合好みがはっきりしなかったものですから、
好きなビールを私に聞いたうえでそれを買ってあげようと、
闘病中にもかかわらず、ズボンのポケットに大事にしまってくれていたものでした。
また義父は、入院中
「もう一回でいいから、ご飯が食べたい。」
と頻りに言っていましたが、
消化液さえ吐き出す状態が続いていたため、入院後も一口も食事を取れずにおりました。
それでも、担当医の先生のご理解とご尽力により、亡くなる直前には、
妻のこしらえたお粥をほんの二口、三口ではありましたが
義父の口に含ませてあげることができました。
そして、その時の
「おいしい。おいしい。」
とまるで子どものように喜ぶ義父の姿を見て、
大病の前にそれまで無力であった私たち家族の気持ちも少しは癒されたのでした。
妻の実家に結婚の許しを得に挨拶に行ったあの日
結局私からは何も言い出せないまま実家をあとにする事になったのですが、
その帰りがけに、義父は娘の結婚に際し一つだけ私に注文をつけました。
「幸生さん、娘をよろしくお願いします。 でも、一つだけ約束してほしい。 娘といつまでも仲ようしてください。」 |
縁あって、私は最愛のひとと一緒になり、
縁あって、私はそのひとの父の息子になりました。
父と過ごした15年余り、この間妻とよく喧嘩もしましたが
(実は今も、法要の件で妻と派手に口喧嘩をしながらこの原稿を書いています。
それも父の位牌と写真の前で…)、
それでも、父と交わした妻と「仲ようする」という約束は、
果たせてきたのではないかと思っています。
今では、3人の子どもにも恵まれ当時とは私たち2人を取り巻く環境も随分変わりましたが、
これからも父と交わしたこの約束を大切にしていくつもりです。
夫婦の原点を教えてくれた父との出会いに感謝しつつ。
安田の次は、高校1年生の時、
名簿の順が私の一つ前であった山梨泰彦君です。
では、ちんさん、よろしく
お疲れ様でした~
同窓会に元気なチビちゃん達と笑顔で登場してくれはるやーさんが、かあこのお嬢さんのセンセだったとは・・・ほんと時を繋ぐ「縁!」
優しい素敵なお義父さんですね・・・
まだまだご家族は淋しくされているでしょうが、皆を守って下さってるはずで・・・やーさんはきっとこの3000円を持ったはる限り・・・
父が亡くなった時のこと、ちょっと思い出し「食べられる」って当たり前のことが、こんなにありがたいことと、忘れがちになってました。
素敵なブログ、ありがとう。
少しは落ち着いたか?嫁さんも大丈夫か?そんなに簡単に落ちつかへんよな。ちょうどお盆のプチ同窓会の時やったもんな。
またいつもの変に元気な安田待ってます!
お久しぶりです。
中学バド部だったminouraです。
なんか、なつかしい。
重みのあるブログ拝見。
私の義父は元気ですが、実父を病気で亡くしました。
「義父」って実父とはまた違った感じの尊敬だったり親しみだったりを感じます。短い時間だったかもしれないけれど、とても深い関係を残してくださったステキなおとうさんですね。
AKO!
お誕生日おめでとう。
場所ちがうけどゴメンよ。
ブログの話題としては、どうかと思ったのですが、正直、他の事を書く気にはなれませんでした。
みんなからのコメントは、妻にとって大きな励みになるでしょうし、また僕にとっても…なんか涙が出てきました。気が張っていたのか、あったかい気持ちにさせてもらいました。
やっぱり、旧友ちゅうのはいいもんですね。
ほんま、ありがとう。
では、また集まりの時に!
やーさんに「ブログの輪」、お願いしてほんとによかったと思てます。
この前のお盆同窓会のとき「安田先生」ことやーさんに会えるかなとひそかに期待していったのですが、会えなくて残念に思っていました。
そんなにたいへんなことがあったときやったのですね。
うちのS氏がはじめて実家にきてくれたときの父の様子、祖父が亡くなる前に、私のことをとっても大切に思ってくれていたことに気づかされたことなんかが胸によみがえってきて、いろんな思いがあふれそうになりました。
そんなことがあっても2学期は始まりました!
これからもタイムリーな話&いろいろなエピソード(そして深いお話でも)で我が娘たちをグイッと話にひきこんでやってくださいまし。
お会いできるのを楽しみにしています♪
このところバタバタしててブログを読めてなくて、久しぶりにブログの輪をチェックしました。
ホントに素敵なブログ・・・・感動して涙がでました(実は仕事中!慌てて涙を隠した私!)
本当に縁ですね・・・・奥様に出会えたからこそ出来た縁。お義父様とお義母様の大切なお嬢さんだったからやーさんの最愛の方になったのでしょうね。
暖かい気持ちにさせていただきました・・・ありがとう。またお会いできるのを楽しみにしてます。
ご無沙汰です。
当時は、サンシャイン英会話学校紹介してくれてほんとありがとう。先生が女の子紹介してくれる。というやーさんの殺し文句で入ってしまいました。
大学やめてもサンシャインは4年通いましたから。
普通、逆やろ。と皆に言われながらも、ほんと楽しかったですよ。感謝です。
その紹介してもらった子の友人が嫁ですので・・・
社会人になってまた通った(しつこいな)サンシャイン帰り、やーさんの下宿に寄ったとき、
ちょうど、結婚するねん。といわれたの思い出しました。そんないい義父さんとの出会いの時期やったんですね。
ほんといい話でした。また会えるの楽しみにしてます。
すごくあたたかい気遣いの出来るお義父さまだったんですね。奥様も傷心でしょう。。やーさんがグッと支えてあげてくださいませ。
これからもずっと「仲よう」してるご夫婦を天国からきっと見守ってくださると思います。
素敵なブログ、ありがとうございました。
心があたたまるブログ、どうもありがとう。
お義父さんのくださった千円札、
きれいなお札に同じ形の折り目が入ってて…、
お会いしたことないですが、やさしいお義父さんの姿が思い浮かんで涙出ました。
ビール買えないですよね。
やーさんの一生の宝物ですね。
お義父さんの「仲ようしてください」も素敵だけど、
その約束をちゃんと大切に守ってるやーさんも素敵です!
喧嘩もしながら、いつまでも「仲ようしてください」ね。
ホッシー。口は悪いが、あなたの優しさにこれまで幾度となく助けられました。もちろん今回も。
minoさん。ほんまなつかしいね。メインコート、当時からそこは猛暑でした。「重みのある」お言葉をありがとう。
きりんさん。お仕事中にもかかわらず流して下さった涙を、嫁さんと共にずっと大切にしますね。ありがとう。
にーきょ。若き日々の修学院での出来事を思い出させてくれました。そこにも「縁」がありました。ありがとう。
つう。「感謝」やなんてこっちが感謝しなあかん!嫁さんを「グッと支える」こと、お約束します。
おかね。千円札、嫁さんは「ビール買ってあげて」というてくれるんやけど、使えません。そんでいいよな?
かわりに、やーさんの好きなお酒をお供えして、
「僕はこれが好きなんですよ。」って
お義父さんに教えてあげたら?
お義父さま、ご愁傷様でした。
私も父を亡くしているので、安田くんと奥様のお気持ちをお察しします。
しばらくは色々な気持ちが混ざり合って落ち着かないかもしれませんが、日々の暮らしにおわれているうちに、自然と時間が解決してくれるであろうと思います・・・。
奥様が体調を崩されないよう、いつも以上に気をつけてあげて下さいね!(もちろん、安田くんご自身も!)
千円札ですが、使えない気持ちもわかるけれど、奥様のおっしゃるように好きなビールを買って、そして、おいしそう~に飲む姿を写真におさめて飾っておくのも案外良いのではないかな?と私は思いました。
すごく素敵なお義父さんですね。心があったまりました。
安田先生の生徒で同級生第一号はうちの娘でしょうか?本当にできの悪い娘ですみませんでした。
娘にやーさんの感想きくと、「安田先生めっちゃいい人~いい人過ぎて損しそうやなぁ~」などといってたの思い出します(笑)
最近の中高生女子・・ご苦労お察しいたします。
そうそう姪っ子も高校で今お世話になってます。こちらも出来が・・ですが・・よろしくおねがいいたします。
(おかねさんも、きくこさんも、共に親身なアドバイスをありがとう!うれしかったです!)
くまちゃん。そうです。仮面ライダーではありませんが、くまちゃんの娘さんが教え子第一号で、姪っ子さんが第二号です!
「くま子」さんへ。ご忠告ありがとう!また学校にも、手土産持参でご来遊ください。
本当にすばらしいお義父様ですね。
出会いの日とお別れの日に、そんな最高な心配りをされたら...ご縁に感謝するしかないですよね。
私自身、自分の最後の日に、周りの人達に、そんな心配りが出来るだろうか?と思います。
ご家族のお悲しみが一日も早く癒えますように、お祈り致してます。
心からお義父上のご冥福をお祈りいたします。
素晴らしいお義父上。なんてステキな方でしょう☆☆☆ご自身が苦しんでおられる中でのお心遣い・・・。
それだけにご家族の喪失感の大きさを思ってしまいます。
ぶっちゃけた話し、私、義父が苦手なんです。もちろん義父には悟られない様にしてますけど、旦那にはもろバレ(会うと必ず胃に穴があくので)。申し訳ないなぁと思って今まできました。
でも、生きていてくれている今しか義父孝行できないんだなぁ、、、と改めて思えました。
ありがとう!
それから、千円札、私も使えないと思います・・・。
3枚あるから、1枚だけ残しておくってのも手かも?で、残りでおいしくビールを頂いて、きくちゃん風に写真に撮って~~☆ってのは・・・いかがでしょう?
心温まるブログをありがとうございました。
人の縁って、フシギなものだなぁって最近感じること多くなりました。
夫婦であれ、友人・知人であれ...。
復活した同窓生とのつながりも、ちょっと前までは思いもしなかった出会いであったし。
こんな「縁」をいつまでも大切にしていきたいですよね。
私もこの2年ほどの間に身近な人を続けて亡くしました。
いろんなことを教えてもらい、私のベースの部分に影響を与えてくれた人たちでした。
別れはさびしいけれど、出会えたことに感謝しています。
やーさんの「約束を大切にしていきます」の想いが、ご家族にとってなによりの宝ですよね。
どうかお疲れでませんように...。
僕にも多分無理やと思います。父は、社会的には、明らかに今でいうところの「負け組」でしたが、その中でも、人への「心配り」を育み保ち続けました。家族の誇りです。
あのんさん。ありがとう。
苦手やけどご主人のお父さんやし…つらいところですね。でも、「胃に穴」をあけながらも、「申し訳ないなぁ」とおもっているあのんさんは立派!それだけでも、十分ではないかと僕は思います。
ひろえさん。ありがとう。
人の縁。義父との関係はもちろん、僕も近頃よく様々な場面で感じるんです。新島先生は、一期一会を大切にされましたが、その教えを「同窓会」としても大事にしながら、人と人との「縁」をいっそう育てていきたいものですね。
ええ~話や。『ブログの話題としては、どうかと思ったのですが、正直、他の事を書く気にはなれませんでした。』 それだけ大きな出来事であったわけで、逆によくぞ書いてくれました!と言いたいです。やーさんからもらうのは"変な元気"だけと違うわ。ヤスダ軍団の一員として、また勉強しました。
い~出会いをして、い~家族に囲まれ、い~人生送ってるんやね。
出会いがあったら、絶対別れもあるんだろうけど・・・
人間関係って鏡みたいなもんやし義父さんも、い~ご縁やったと喜んではったと思うよ。
うちは両方の両親とも健在ですが、いつかは・・・
やーさんのブログで少し考えさせられました。
では、では・・・また同窓会で!
「軍団員」のお一人のあなたにほめていただいて幸せです。ただ、「変に元気(byホッシー)」なのか、「変な元気(byあおき)」なのか、この際はっきりしてもらいましょうかー
いそめ。ありがとう。
「人間関係は鏡」かぁーなるほど…いそめが言うてくれたように、父も俺との出会いを喜んでいてくれたとしたら、「申し訳ない」と思っていた気持ちが少しは楽になったわーありがとう!
なんか、やーさんらしい、暖かいブログでした。
僕も、ジーンと来ました(久々かも)。
僕も父を亡くしていますので、ちょっとだけわかります。
んで、義父も大病で亡くなりそうだったし、さらにちょっとだけわかります(ガッツで今、生きてます)。
でも、僕の場合は、ドロドロな関係なのでちょっとしか分かりません(泣)。
>夫婦の原点を教えてくれた父との出会いに感謝しつつ
なんかね、僕ね、やーさんに教わった気がした。
なので、やーさんに感謝します。
3千円ねー。んー、僕だったらビールを買って、墓前(てか仏壇)で飲むな。
と言っても、使うまで時間かかるだろうけど。
と言うわけで、また会えるのを楽しみにしてます。
私はどちらも亡くしていないので、ほんとのとこ実感がないくせに。でも、読んでるうちに大好きだったお婆ちゃんを思い出して涙がポロリ。お婆ちゃん子だった私は、祖母が息を引き取った時、あまりのショックで失神してしまったほどでした。
人の縁って大事ね。たとえどんな出会い方でも、別れ方でも、その縁は自分の人生にとって意味を持つものなのだと思います。
3千円、私は焼酎を買います。で、少しずつおばあちゃんの事思い出しながら飲みます。
イタ姫ことしのぶです。
お盆の同窓会の時、ブログの件でご挨拶しようと思っていたら
ご不幸があって、欠席と知りました。
大変なときだったのに、原稿を書いてくれてありがとう。
心にぐっとくる原稿の内容と合わせて
や~さんの真っ直ぐさが伝わってきました。
この原稿を読んで
きっとたくさんの人が、いろんな思いを重ねたと思います。
ブログ
奥様は読まれましたか?
まだでしたら、是非に!
私は使えないです、3千円
人の気持ちの「ちょっと」×→「よく」わかるトシックにこちらこそ感謝です。みんなと様々な形で思いを共有できて幸せです。そんな同窓会のメンバーと、この3千円でビール1箱買って、父の写真を囲んでぱぁーとやるのもいいのかも!
なみさん。ありがとう。
お酒に強くない僕の場合、焼酎やともって30分かな。1時間後には…にこもっていることでしょう。お祖母様への敬愛の念の深さ、僕にも「胸にぐっと」伝わってきました。おばあちゃん、今でもきっと喜んでくれたはるやろね。
イタ姫さん。ありがとう。
編集作業お疲れ様でした。自分では、「真っ直ぐ」に生きているとは到底いえませんが、どうしても器用には生きられへんのは昔のままで、みなさんに今も昔もご心配をかけております。イタ姫編集長に原稿を提出する前に嫁さんにも見てもらいましたよ。父の墓ができたら一緒に埋めてもらうつもりです。
やーは、小学校の頃からクラス委員&優等生で、問題児のオレとは大違いやったね。
やーが太陽なら、オレは月。やーが王、長嶋ならオレは野村監督。
やーが魔女っ子メグちゃんなら、オレはノンちゃんやね(かなり古いヾ(*´Д`*)ゞ)。
えらい最近の話なんで驚きました━━━━━(゚д゚;)━━━━━
思いやりのある義父さんとの忘れられない思い出は一生の宝物ですね。
義父さんも天国で、素敵な息子を持ったことを誇りに思って...
くれてるよ。きっと、多分。
もし、思ってくれてなくても、
『ヘンな元気ヾ(*´∀`*)ノ』をもらったことは、喜んでくれてると思います。
やーの御両親もまだまだお元気ですか?やーの御両親のイメージは今でもすぐに湧いてきます。
これからは、義父さんに負けないくらい、やーの御両親、義母さんに親孝行してあげてくださいね。
親孝行出来る時間は、いつまでもある訳じゃないしね。
まぁ、やーのことやし、きっと大丈夫でしょう。
これからもみんなに、ヘンな元気!を分けてあげて下さいね(私は要りませんが...)。
「やんぎ」と呼ばせてもらうのは、6年2組のとき以来やね。大槻先生はまだ先生してはるんやろか。饅頭屋の磯貝のこと覚えてるか?後継いでいるらしいけど、一度行ってみたいなー中学に入ってから地元との繋がりが無くなったから、幼馴染で今でも付き合いのあるのは、やんぎだけやな。
よう相撲とったな。やんぎにだけは勝てへんかったなーやんぎは横綱やったな。それからやんぎは、杉っぺと世界の国々の首都や歴史の問題をよう言い合いしてたな。やんぎの知識量は半端やなかったでーみんなやんぎのことすごい!と思てたで。もちろん俺も!な。
両親ともに元気にしてるで。ただ、親父は2年前に弟に畳屋の店主を継がせ一線を退いてから腑抜けの状態で、母親は数年前に心臓の大手術をして一級障害者やけど…今度会ったときにやんぎが心配してくれていたと、いうとくわ。ありがとう。
「太陽」が沈むと「月」が世を照らし、「長嶋」が倒れた後も「野村」は第一線で活躍中。
今はまだ「変に元気」であっても、その「優等生」の輝きは老後には失われることでしょう。その時には、手のかかる「問題じじー」として「問題じ」に厄介かけたるから覚悟しておくように!
では、また。
「やすっち」と呼ばせてもらうのは、6年2組のとき以来やね。
磯貝は憶えてるよ。タイガー・ジェット・シンみたいな顔だったよな。前の日にアントニオ猪木がジェット・シンにやられたら、翌日に『猪木の仇!』とばかり磯貝をやっつけてた!?小学校の時の罪滅ぼしに饅頭買いに行って売上に貢献してくるわ。
相撲でやすっちは『外掛け』が得意だったよね。投げにいった時の、外掛けは要警戒やった。
ソフトボールもよくやったな。やすっちは、あの女子ソフトの『上野投手』並の早い球やったんでいつも苦戦したな。特に5年の時の球技大会ではノーヒットに抑えられて負けてもうた_| ̄|○
小学校の頃の将来の夢は野球選手やったのに、何故かテニスしてもうた。あの頃は元大洋ホエールズの大門投手より俺らのほうが上手かったのになぁ。
今もお盆の野球大会に出てるんで来年は、やすっちもどうや?今でもまあまあ出来るし、簡単には負けへんで~
お母さん、大変やったんやなぁ。ってか、一級障害やったら今もメチャ大変やん!
時間に余裕のある時は、なるべく会いに行ったげてや。
中学の頃から、バドミントンでやすっちが華々しく活躍してたから、俺も負けてられへん!とテニスで頑張れたのかも知れんわ。ま、パリーグ並みの注目度やったけどね○| ̄|_
↑に対抗するわけやないけど。大谷幼稚園で一緒だった・・らしい(もう何も思い出せませんわ)faceです。
そうでしたか、つい最近のことで・・大変でした。
でも、ご家族はもちろん、人とのご縁や調和を何より大事にする、やーさんのまっすぐな人柄がよくわかるエピソードでした。
まずはご家族が悲しみから癒え一日も早く日常に戻られますように。
奥様にもよろしくお伝えください。
うちもこの2年で義父・実父を続けて亡くしました。結果的にですが、死期が近づいた親に呼ばれるかのように、高知からこの地に戻ってきた気がします。
十分親孝行ができたとは思えず、けっこう後悔もしています、
帰ってきたというだけでも安心はしてもらえたでしょうが・・・。
二人の男親から、男の生きざまはしっかり示された気がします。
それをどう受け止め身につけるかが、喪の作業なんでしょうね。
安田畳店は弟氏に引き継がれているとのこと、安心しました。
父上の長年の労をねぎらってあげてください。
11月にはいつものやーさんに会えるものと楽しみにしています。